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みぞれアイス

  つまるところ俺は冬が嫌いだ。セーターの毛糸のチクチクが嫌いだし、何度肩にかけても垂れ下がってくるマフラーが嫌いだし、せっかく重ね着しても暖房の効 いた教室で脇の下に小汗をかくのが嫌いだからだ。その後、部屋を出たら脇の下だけ冷たくなって落ち着かない時には冬という季節を呪いたくなるほどだ。結果 として俺は冬が嫌いだが、ただ季節の流れるままに冬を嫌っているわけではない。つまり冬を楽しむべく努力もしているのだ。例えばコタツで食べるミカンは確 かに美味だが、白い筋を取り除くのに神経質になるあまり、他の人がミカンを二個食べる間に一個しか食べられないし、その上爪が黄色くなってしまうのであま り幸せな気分にはなれない。大抵のことには無頓着な俺だが、なぜかミカンの事となると途端に神経質になってしまう。全く損な体質だ。
 それ以外の努力……そうだ、最近ハマっているものがある。アイスだ。元々甘いものが好きな俺は事あるごとにアイスクリームを買って食べていたのだが、こ こ数年で重大な事に気が付いた。アイスは冬の食べ物である。冬の季語として「雪のよに 儚く白い アイスかな」などと一句こしらえたいほどにアイスは冬の 食べ物だ。夏こそアイスの最盛期であることは認めるが、常々俺はアイスの性質と夏の暑さに矛盾を感じて仕方が無かった。つまり、アイスは即ち氷であるから して暑さに弱く、冷凍庫から取り出した瞬間からアイスとしての理想の状態からどんどんかけ離れていくわけで、炎天下で溶け始めたアイスバーなりソフトク リームと俺の戦いは常に負け戦だった。そんな中、俺はアイスを溶かさずゆっくり味わう方法に気が付いた。つまり冬の寒い日に食べればアイスは溶けずに最後 までその姿を保っていられる。溶けるのは俺の口の中だけでいい……そんなことを考えながら、俺は寒風吹き荒れる野外でブルブルと震えつつアイスを頬張るの だ。美味しい。これが実に美味しい。隣で缶コーヒーを啜る友人の奇異の目はとっくに知っている。だが俺はそれを知らぬ振りをして、アイスバーの周りのチョ コレートが最後までパリパリと音を立てるのを楽しむ。許される限りゆっくりと、歯を食いしばりながら。

「よくわからんがご苦労なことじゃ。しかしアイスを季語とすると雪と季重ねになってよろしくないぞ」
 などと俺の目の前でよくわからん説教を垂れるよくわからん女の身長は折りたたまれた携帯電話の縦長と同じか少し小さいくらいで、目玉の親父よろしく茶碗の中で水風呂に身を浸しながら首の後ろをしきりに揉んでいる。
「違う、そこじゃない。俺が言いたかったのは寒いのが嫌いだってことと、いい加減窓を閉めさせてくれってことだ」
「ならん。せっかく人の眠っていたのを邪魔しおってからに。そしてこの部屋はまだ蒸し暑いわ」
 腰までありそうな黒髪に白い長襦袢、雪のように透き通った白い肌はまさしく雪女のそれなのだが、それならば雪山で遭難者でも見つけて相手してればいいも のをなぜか俺の机の上でくつろいでやがる。全く世の中何が起こるかわからない。俺はただアイスを食べようとしていただけなのに――

  脱兎のごとき一月も早々に終わりを告げ二月。高校が振り替え休日で、両親とも仕事に出かけていた今日。珍しく続いている日記を付ける作業を途中で切り上げ た俺は、冷蔵庫の前で母に頼んで買い置きしてもらったアイス群から今日食べる一つを選んでいた。好きなものは最後に食べる派の俺は、お高い割りに小さいブ ランドカップアイスや、チョコレートがコーティングされた大好きなアイスバーを取らずに、女の子向け魔女っ子アニメのキャラクターが包装に印刷されたみぞ れアイスを選んだ。練乳以外のみぞれアイスはそんなに好きではなかったが他に選択肢がなかったので仕方なくそのオレンジ味のみぞれアイスを取ると、そのま ま部屋の机の上まで持ってきたわけだ。
 魔女っ子アニメには必ずといっていいほど小動物風な外見をした使い魔的存在のマスコットがいるなと考え、魔女だから使い魔でいいのかなどと一人で納得す ると包装のギザギザを指で裂き、中身はいたって普通のカップ容器を取り出した。プラスチックのフタを捨て、木製のスプーンを取り出していざ食べようとした ときに俺は驚いた。アイスの中にうずくまる様にして女の人形のようなものが入っていたのだ。最近のアイスはここまでやるのかと内心戸惑いつつ、これは実は 底に印刷された絵ではないかと裏から覗いてみたり、ケーキの上の砂糖菓子みたいに食べられるものなのか、それともおまけとして遊ぶためのものなのかとしば らく考えていたが、取り出してみないことには仕方がないとそのオレンジ色の氷にスプーンを突き立て、削るように掘り進めて行った。
 なかなか進まない発掘に嫌気がさした俺は次第にスプーンをアイスピックのように連打し始めた。そしてスプーンが人形の首元を打った時だった。それまで穏 やかな寝顔を浮かべていた人形の眼が開き、ギロリとこちらを睨んだのだ。俺と眼が合ったその人形は、左半分だけ氷から自由になった口を般若のように引きつ らせると、およそその小さい身体からは想像できないほどけたたましい声で絶叫した。心臓が凍るほど驚いた俺はカップとスプーンをその場で放り投げ、椅子に 座ったまま後ろにひっくり返ってしまった。裏返しになって少しマシになったものの、カーペットの上で未だに叫び続ける人形の横で、頭を強打した俺は足をバ タバタと振り回しながら椅子の上に寝ていた。本当に両親が居なくて良かったと思う。
 しばらくして頭の痛みも人形の断末魔も一段落したようだったので、俺はフラフラと立ち上がりみぞれアイスを手に取ると、部屋を出て台所に向かった。何が 起こったのかよくわかっていなかったが、とりあえず人形を取り出そう、そう考えていたはずだ。明日学校で友人にこのリアルな人形を見せてやろう。それとも フィギュアオタクの奴にくれてやろうか? その程度の理由だったかもしれない。とにかく俺はみぞれアイスのカップを電子レンジに入れると、解凍モードに セットして電源を入れた。せっかくのアイスが台無しになってしまったが、もうそんなことはどうでも良かった。
 最近の食玩はよくわからない仕掛けを作るものだとか何とか独り言を言いながらタオルを水で濡らし、それを頭にあてがおうとした時、再び例の絶叫が台所中 を駆け巡った。「ひぅっ」と情けない声を出して首を竦め驚いた俺の背後で電子レンジが暴れている。俺が少し涙目になりながら電子レンジに振り返ったその時 だった。
「わしを殺す気かぁこの下郎め! 宮刑に処してくれようか!」
 電子レンジのドアを内側から蹴り開けたのは紛れもなくみぞれアイスの人形だった。全身を茹蛸のように真っ赤にして、鬼の形相でふんぞり返っていた。長襦 袢や黒髪は溶けたみぞれアイスオレンジ味でベトベトで、一歩踏み出すと同時にオレンジの水溜りに足を取られ、その場で転んだ。
「なんじゃこの気味の悪い水は! ええい、風呂じゃ! 風呂の用意をせい!」
 人形は仰向けのままレンジのプレートの上で手足をジタバタすると、振り回した腕がみぞれアイスのカップに当たり、それが勢いよくひっくり返ると人形の頭やら台所の床やらに勢い良くオレンジ色の水をぶちまけた。
 驚愕のあまり俺もその場でひっくり返った。

  ――とにかく、この漫画的な状況は夢だったというオチが一番自然だなと思いながらも、なぜか「ミゾレ」と名乗る自称雪女の指示通りに動き、手頃な茶碗を用 意し、富士の天然水を注ぎ、暑いというので窓を開けてやった。お陰で俺の部屋は凍るほど寒く、頭のたんこぶは心臓の鼓動に合わせてズキズキと痛んだ。
「つうか何でアイスの中で寝てたんだよ! 雪女なら雪女らしく雪山にでも出てればいいじゃないか」
 もしもこれが全て俺の幻覚幻聴という名の妄想で、実は部屋で一人みぞれアイスをぶちまけながら机に向かって一人芝居をしているんじゃないだろうかと心配しているが、どちらにしろ親は夜まで帰ってこないのでしばらくは誰にも会うことはないだろう。
「最近は山を越える者が少なくてのう。どうにも暇じゃったから下界に下りてみるとこれが暑くて敵わん。そこで氷があるところを見つけては少しずつ移り住んでいたというわけじゃ。しかし里も面白くなったものじゃのう」
「はぁ……」
「本来なら人間と同じような大きさで男の前に出るのじゃが、暑いうちはこうして赤子のように小さくなって力を温存しておる。ああ、もう閉めても良いぞ」
 俺はすぐに窓を閉めると椅子に座りなおし、腕を組んだ。ミゾレは椀の中で気だるげに浸かっている。生地の色なのか肌の色なのか、水を吸って白く密着した襦袢が俺の目に眩しくて正視できない。
「何をわけのわからないことを……とにかく、夜になるまでには出てってくれよな」
「なんと、夜からがわしの腕の見せ所だというに。もっとも、お主のような若造相手にはまだ早かろうなぁ。ほれ」
 ミゾレが太股をチラリとさせると俺は思わず手で顔を覆い床を蹴った。キャスター付きの椅子が俺を乗せたまま後ろに走り、壁にまたもや後頭部を打ち付けて悶絶する羽目になった。
「かっかっかっ、ウブな奴じゃのう。わしが小さくて残念じゃったな。かっかっかっ!」
 悔しいやら痛いやらで俺はよくわからない気分になっていたが、でもどうすることもできずにただただ後頭部を抑えては痛みに耐えた。
「はて、これは何じゃ? ……『春になったら告白する!!』」
 椀から出たミゾレは机の上に広げたまま忘れていた日記帳の上をペタペタと歩くと、あろうことか二月に入ったばかりの今日の日記を読み始めた。
「『クリスマスにはミキちゃんを誘えなかったけど、冬は何かと不便なので春になったら計画を実行しようと思う。いや、クラス替えでバラバラになってしまうかもしれない俺とミキちゃんにとって、春は最後のチャンスなのだ。』。ぷぷっ」
「ぬあぁぁぁぁ! やめろ!」
 椅子に座ったままつま先だけで前に進むと、日記帳をひったくって急いで引き出しの中にしまった。上に乗っていたミゾレは足元をすくわれ転げ落ちた。俺の 俺による俺のためだけの完全なる個人的内容の日記を人に読まれるという屈辱。それも人だか人形だか妖怪だかわからん奴に。しかもページがちょっと濡れてし まった。
「お主、好いておる女子がおるのか」
「お前には関係ないだろ! 人のプライベートに風呂上りのまま入り込むな!」
 横になったまま頬杖をついているミゾレは何やら不敵な笑みを見せると、空いているほうの手で俺をビシッと指差して言った。
「春など待っていられるものか、雪も溶けてなくなってしまうぞ! そのミキちゃんとやら、わしに話してみい」
 ミゾレの気迫というか自信に満ち溢れた表情に負けた俺は、とうとう自分がこれまで誰にも打ち明けたことのなかった想いを吐露してしまった――

  俺の学年にはそんじょそこらのグラビアアイドルには引けを取らない、今小町とも言うべき学校のアイドルが二人もいる。一人は明朗快活、明眸皓歯、そして便 所の100ワットとも称される元気娘の今村さんだ。小柄ながらソフトボール部で鍛えたしなやかで健康的な肉体と小麦色の肌、どこに居ても必ず見つかる声の 大きさと愛くるしい笑顔、イケメン集団や俺たち地味オタク集団の男子にも分け隔てなく接してくれるのでまるで天使のようだと珍重されている。一週間に一回 くらいは俺にも話しかけてくれるのだが、やはりその強烈なまでの魅力にこの俺でもちょっとクラクラしてしまうのだ。うん。ただ今村さんは隣のクラスなん だ。
 もう一人がウチのクラスの女子のドン、菅野さんだ。見事なまでに今村さんとは対照的で、今村さんが太陽なら月ともいえる彼女は、沈魚落雁、紅粉青蛾、昼 は聖女夜は娼婦などとよくわからない妄想を膨らませるに充分な美人だ。華奢で長身、濡れ烏のような黒髪に整った顔立ちをした彼女はまさにモデルというにふ さわしく、クラス中から羨望の目で見られている。彼女に憧れる女子も多く、休み時間になるたびに集結して菅野さんを中心に何やら秘密の集会を開いている。 所謂とりまきってやつだ。彼女自体は一応誰にでもにこやかに接してくれるのだが、彼女と話す権利というものは殆どサッカー部やバスケ部のイケメンに取ら れ、クラス内カーストの下層民は遠くから拝んでいるだけだ。
 マゾ気質の多いオタク集団では菅野さんが時折見せる醒めたような気だるげな目線だったり、授業中にも関わらず足を組んで外を見るような仕草に反応してし まう奴もいるようで、口々に「踏まれたい」だの「ブレザーのネクタイ掴まれて絞められたい」だのもっとキワドイことも言ってニタニタしてやがる。そりゃ俺 も踏まれたいが、そんな機会が巡ってくるわけない。

「ふむ。それで、どっちがミキちゃんなんじゃ?」
 朗々と語る俺を遮り、ミゾレが水を注した。
「残念ながらどちらもミキちゃんじゃない」
「な、回りくどい前振りは要らぬ! 早う本題に入れ」
 少々話が逸れちまった――

  そんなわけで女王様的な雰囲気を醸し出す菅野さんは窓際の後ろから二番目の席に座っているのだが、その後ろ、つまり窓際最後尾の席に座っているのが谷野美 希、ミキちゃんだ。ミキちゃんは今村さんくらい小柄なので、授業中は菅野さんの頭が邪魔で黒板が見えず、いつも体を右に左に傾けてノートを取っている。そ の挙動をゲームオタクの友人は度々「人間メトロノーム」なんて揶揄するもんだから、隣のマンガオタクも調子に乗って「ミキ・ザ・ペンデュラム」なんて言い 出して、俺はそいつらの部屋にあるゲームディスクや漫画本をフリスビーよろしく窓から飛び立たせようと思ったほどだが、そこは堪えつつ「レースゲームやっ てるお前らは壊れたメトロノームみたいだけどな」なんて言って涼しい顔をして反撃している。
 なぜたまにミキちゃんが話題に挙がるのかといえば、俺の席が菅野さんの斜め後ろ、窓際から二列目の最後尾の席であり、オタク集団では菅野さんに最も近い 席であるからだ。つまりそれはミキちゃんの隣というわけなのだが、不純な友人たちは俺の「見物」するに絶好のポジションについて暑苦しく議論している。そ の中で後ろに座るミキちゃんが菅野さんの比較対象に挙がるわけである。
 俺の席は授業中の菅野さんの一挙一動をつぶさに、誰の眼を気にすること無く眺めることができる最後尾でありながら、自然に、「坐れば牡丹」の全身を余す ところ無く観察することができる玉座である。菅野さんより前の席では菅野さんを見ることはできないし、隣の席では不自然だ(最も話しかけるのには最適だ が、俺たち「見守る会」は敢えてそれをしない)。真後ろの席は自分の机のせいで背中から上しか見ることができない。だから斜め後ろなのだ。とはパソコンオ タクの友人談である。
 確かに俺の席からは菅野さんが枝毛を探す仕草や上靴を足に引っ掛けてブラブラさせている所や机の下で隠れてケータイをいじっているのが丸見えだが、俺は それらを脳裏に焼き付けようとはしない。なぜなら隣ではミキちゃんが右に左に健気に振れているわけで、菅野さんだけを凝視することはできないのだ。外を見 ると見せかけて菅野さんを見てそのままミキちゃんを一瞬見て、また菅野さんを確認した後に黒板を見る、の様な不自然なルーチンを組んで俺は自分の欲望を ちょっとだけ満たしているのだ。

「いよいよ解らなくなった。お主が好いておるのはミキちゃんか、菅野とやらか」
 滔々と語る俺をまたしても遮り、ミゾレが話の腰を折った。
「だーかーら、ミキちゃんだっての! 菅野さんには悪いが彼女はあくまで遠くから見て満足する対象なんであって、好きとかそういうのじゃないの」
「では早う本題に入れと申しておるに!」
 少々話が逸れちまった――


 ダイヤの原石、海底の金貨、雪下の新芽、俺がミキちゃんを初めて見た時の印象だ。化粧っ気がまるで無く、緩やかにウェーブした猫っ毛は特に手を加えたよ うには見えない自然体なセミロング、名前順も谷野のヤ行で最後の方、かといってトリは目立ちたがり屋の渡部君が勤める。話しをするのはもっぱら同じような 地味な女子で、男の噂は一つも無い。でも、俺にはわかるのだ。そのつぶらで優しい瞳、薄く色付いた頬、品のある口調、包み込むような笑顔。彼女は自身の 引っ込み思案な性格のせいで目立たないが、実は相当かわいい。それこそ今村さんや菅野さんと同じくらいの魅力を秘めている。そしてそんな彼女に気が付いて いるのは多分、俺一人なんだ。 
 それが俺の第一印象。この学年になった時には苗字くらいしか知らなかったミキちゃんだが、年度の中間ということで行われた席替えでこのポジションにな り、ミキちゃんの隣で毎日授業を受けるようになって、ミキちゃんの持っているかわいさに気が付いたのだ。だけどこの時はまだ、「菅野さんその他カワイイ子 の近くでラッキー」程度にしか思ってなかった。それが恋心に変わったのは、寒さが際立ってきた十一月のある日のことだった。
 ありがたいことに母親は毎日学校に行く俺に弁当とお茶の入った水筒を持たせてくれるのだが、油っこい冷凍食品と砂糖多めの玉子焼きのせいで食事中も食後 もお茶は欠かせないものであった。その日、偶然水筒を持ってくるのを忘れた俺はいつものように友人たちと弁当を食べ終えると強烈な渇きに襲われた。当然で ある。隙間無く詰められた一段目の白米に負けじと、二段目に並べられたミートボール、鶏の唐揚げ、ミニハンバーグ、焼塩鮭の切り身、そしてスイーツにでも なりそうな玉子焼き。他愛ない談笑もそこそこにご飯とおかずを平らげ、申し訳程度のレタスとプチトマトをつまむと、俺は久しぶりに売店へと向かった。ソ ファーに置かれた弁当と水筒の、クッションに水筒が隠れてさえいなければ。こんな過ちを犯さずに済んだはずだ。
 外廊下はやはり寒かったが、早歩きで売店へと着いた俺には小汗をかくほど暑かった。そんなにも喉が渇いていたのかと笑うかもしれないがこれは違う。昨晩 の深夜アニメの解釈について食後のグループディスカッションの最中だったからだ。できれば俺の持論である「ヒロイン裏切り論」を展開していきたいところ だったが、今売店へ行って何か買わないと昼休みが終わってしまう。だから俺は急いでここまで来たのである。
 売店の中は暖房によって暑く、また食後の昼休みを過ごす生徒で溢れていた。ネクタイを緩めた俺は何人もの生徒の間を縫うようにして奥へと進んだ。途中で ケバケバしい女子生徒の安っぽい香水に顔をしかめ、今村さんのグループには道を譲り、そうこうしているうちに店内の一番奥、ほとんど人が居ない場所にたど り着いた。アイスのクーラーボックスだ。横目で飲み物コーナーを見ると大勢の人が棚に張り付いてダラダラとコーラだの紅茶だのを選んでいた。俺はジュース を諦め、クーラーボックスの蓋を開けた。色々な意味で熱を帯びている俺にはアイスが丁度良いだろう。と俺はボックスの中からなるべく水分含量の多そうなも の、みぞれアイスを手に取った。いくつか種類があったが、練乳味を選んだのは単に俺の好みだ。
 ひんやりとしたボックスから腕を引き抜くのと入れ違いに、華奢な腕がボックスに入る。青色のブレザーは女子の物だ。俺が顔を上げると、微笑んだ谷野さんが目の前にいた。
「私も好きなんだ、みぞれアイス。えへへ」
 俺と同じ練乳味みぞれアイスを手に持った谷野さんは普段見せないような無邪気な仕草で俺に笑いかける。俺は谷野さんのかわいさに見惚れ、氷像のように固まってしまった。
「はい、スプーン。それじゃね」
 谷野さんは俺の持つみぞれアイスの上に木のスプーンを乗せると、そのままレジへと行ってしまった。
 その日から俺は好きになってしまったのだ。冬のアイスを。そして谷野美希さんを……。

「お、おい! こぼれとる、こぼれとる!」
 ミキちゃんへの想いを馳せながらミゾレの風呂の水を取り替えたものだから、ついつい語りに夢中になってしまい、水を入れすぎてしまった。我に返った俺は机に広がる水溜りをティッシュでふき取った。
「それで、ミキちゃんとはうまくいっておるのか」
 ミゾレが勢い良く椀に浸かるものだからまたしても水が溢れてしまった。
「まあ、休み時間に話したりするけど……どこかに遊びに行ったりとかそういうのは、ない」
「そうか、まあそれくらいが妥当じゃろうな」
「妥当ってどういうことだよ」
「うぶなお主と飾り気のないミキちゃんがいきなり流行り場に行くのも不自然じゃろうて」
「……ま、まあそうだよな。うん」
 俺はモジモジとティッシュで紙縒りを作る。
「それで、俺はこれからどうすればいいだろう」
 頼りにならない友人たちは自分たちの世界の話題で盛り上がるし、一人っ子の俺には恋愛相談をする相手が居ないのだ。そんな俺の相談相手が妖怪、もとい雪女だなんて、誰が予想しただろうか。
「知らん」
「な、なんだよ知らんて! なんかあるだろう、アドバイス的なものがさ!」
 思ってもいなかった返答にすっかり狼狽した俺はつい声を荒げてしまった。ミゾレは涼しい顔で天井を見つめたまま、椀の水風呂にゆっくりと浸かっている。
「お主の話だけじゃ事の委細がわからぬし、第一わしはお主らのような若い世代の事情は知らん」
 なんだよそれ。ミゾレの方から話してみろって言ったじゃないか。それなのにこの無関心ぶり、ほとほと呆れる……。
「わしはお主の色恋に助言することはできぬが、予報することはできる」
「予報? なんなんだそれは」
 俺を見てニヤリとするミゾレに心が弾んだ。
「明日、雪が降る」
 なんだよそれ。予報は予報でも天気予報かよ。しかも今朝の予報では明日は晴れだよ。意味分かんない上にどうでもいいし。胸の内を打ち明けた上に期待までして損した……。
「そうですか……もういいです。お引取りください……」
 椅子の上でうな垂れる俺を見てミゾレはなにやら裏があるような不気味な笑い声を上げている。
「そうじゃな、そろそろ日も暮れるし、わしはまたどこか旅に出るとするかの」
 見れば俺の部屋は西日で赤く染まっていた。椀から出てティッシュで身体を拭ったミゾレは仁王立ちで俺に手を振った。
「またな青年よ。明日は雪じゃが、頑張って勉学に励むのじゃ」
 そう言うとミゾレはアルミサッシに手をかけ、北風が吹くのを見計らって窓から飛び降りた。よくわからない不思議な力で風に乗ったミゾレはそのまま茜さす街に消えていった。

 俺はその日、ミキちゃんのことを考え悶々とした眠れぬ夜を過ごした。最後に時計を見た午前一時からしばらく経って眠りについた――

 それが雪女の神通力なのかは知らないが、外は確かに一面の雪景色であった。夜中に降ったらしい雪は積雪に不慣れなこの街の人々を混乱させ、右往左往させていた。それには両親も含まれている。
「雪よ、雪! あんた学校行ける? お父さん電車止まっちゃって大変なのよ」
 雪だからといって俺にできることは特になかったので、普段どおり朝シャンをして制服に腕を通し、トーストとリンゴを手早く食べて家を出た。お弁当も水筒 も用意されなかった代わりに昼飯代を持たされた。いつも気になっていたスタミナパワー丼というのを買ってみようか。そんなことを考えながら真っ白な道を歩 く。いつもなら車の通りがあるこの道路も、今日は静かだ。それどころか一人も歩いていない。シャッター街と言われるこの通りでは、こんなものなのだろう か。一人歩くのは少々寂しかったが、スニーカーに冷たさが染みても気にはならなかった。
 それにしても、昨日はあんな不思議なことが起こったなんて未だに信じられなかった。やはり夢か幻覚だったんじゃないだろうか。自分以外の証人がいないた めに昨日のできごとを確かめることはできない。アイスの中から現れたのは雪女で、その雪女に恋愛相談をしたりして。しかもその雪女は体長が折りたたまれた 携帯電話の縦長と同じか少し小さいくらいで……そういえば携帯電話はどうしただろう。昨日から触ってすらいないや。
 ズボンのポケットや鞄を探るが携帯電話は出てこない。そして昨日から充電器に挿したままであったことを思い出した。
 まあいいだろう。普段から迷惑メール以外ほとんどメールも電話もないような俺だ。一日くらい携帯電話を携帯しなかったからといって時代の波に取り残されるわけでもあるまい。第一、高校は携帯電話持込禁止なのだ。まあこれは表面上の規則ではあるが。

  どの部活も朝練をしていない校庭というのはそれはそれは清々しいもので、さらに一面の雪景色だからもう言うことはない。誰の足跡もない校庭に俺の足跡が刻 まれるのは少々惜しい気がするが、正直俺はそれどころではなかった。静かな校舎が見えたときから浮かびだした不安、今日は登校日なのかという危惧。俺は校 庭のなるべく目立たない隅のほうをそそくさと歩くと、昇降口の冷たく輝くガラス戸を開け……開かなかった。途端に寒さが身に染みる。これは、雪のため休校 だという結論以外考えられない。通学路に生徒が誰一人歩いていないのも、校庭で陸上部が走りこみをしていないのも、みんなこれで説明が付く。今日の学校は 踏み固められたグラウンドと共に雪の下でお休みなのだ。何の因果か知らないが、どうやら俺に休校の情報は伝わらなかった……おいおいミゾレの奴、雪が降る という予想は当たったが、これではミキちゃんに会うこともできないじゃないか。俺に残された時間は少ない。一秒でも多くミキちゃんを見つめ、他愛の無い会 話をし、その時を見極めなくてはならないのだ。休みなのを知らずノンキに学校に来てしまった今日の事はミキちゃんとの雑談で使えるだろうか? あまりにマ ヌケすぎて引かれるか? いやいや、ミキちゃんなら笑ってくれるか……
「おはよう」
 突然肩を叩かれ驚いた俺は右足でガラス戸を蹴り、ゴーンという諸行無常の音が無人の校舎に響き渡った。聞き覚えのあるその甘い声に期待と羞恥を感じながら、俺は俯きかげんに振り向いた。
「や、や、谷野さん!」
 なんとそこに立っていた谷野さんはさっきまで俺が想像していた通りの笑顔でこちらを見ている。寒さに赤くなった頬には可愛いえくぼが刻まれ、両手にはめ たクリーム色の毛糸の手袋には可愛らしいウサギさんが編みこまれていた。グレイト。ミゾレはここまで見越して俺に助言していたのか。いや、今はそんなこと どうだっていい。
「お、おはよう。なんかさ、学校のドア開かなくて」
「うん。今日はお休みだよ」
 だよね。そうだよね。休みだよね。なのに制服着込んで学校に来ちゃう俺って阿呆だよね。ってあれ、谷野さんは?
「昨日メール、届かなかった?」
 ミキちゃんはパステルピンクの携帯電話を顔の横に挙げると強調するように振った。盲点だった。昨晩からずっと携帯電話は見ていない。きっと俺の元にもメールで緊急連絡が回っていたはずだ。
「私メールに気が付かなくって、学校に来ちゃった」
「ははっ、俺も。というか今知った」
 いくらか動揺も落ち付いた俺は爽やかに笑ってみせると、爽やかに後ろ髪をなでつけて見せたりなんかして、ミゾレがもたらした未曾有のチャンスを生かすべく必死で爽やかさをアピールした。
「あれ、谷野さんの頭に雪積もってない? どうしたの?」
 一瞬、粉チーズと言いそうになったが、そこは我慢。こんな純粋無垢な子に俺流のジョークはまずかろう。
「ああこれ、さっき木登りしたの」
「えっ、あ、そう。木登りしたんだ。ははっ」
 純粋でも無垢でもない俺には意味が分からない。なぜ彼女は学校に来て木に登ったのだろうか。趣味なのだろうか。そこに木があったからだろうか。
「ここに居ても仕方ないし、帰らない?」
 ミキちゃんは頭に積もった雪を払うと、恥ずかしそうに俺を誘った。『帰らない?』、『一緒に、帰らない?』、『私、あなたのことが前から好きだったの。 ねえ一緒に、帰らない?』、瞬時に俺の脳内ではミキちゃんの言葉尻に尾ひれが付いて妄想が駆け巡る。俺は初めて女の子から帰ろうと誘われた。これは興奮せ ざるを得ない。初デートは公園で木登りだろうか。いや待て、俺は木登りが苦手だ。
「そうだね。寒いし、帰るとするか」
 俺が颯爽と歩き出すと、ミキちゃんは携帯電話をブレザーのポケットにしまい、俺に並んで歩き始めた。ミキちゃんの方をチラリと見ると、ポケットからはデ フォルメされた猫のストラップが揺れている。そういえばミキちゃんは猫が好きだったなぁ、なんて考えながら反対側のポケットに目をやると、どこか見覚えの ある妙にリアルな脚がポケットから飛び出し揺れていた。
「谷野さん、何それ?」
 その犬神家の祟りを想起させる脚を指差し、ミキちゃんに恐る恐る尋ねると、「あっ」と言って彼女はそれを摘み上げた。
「このお人形さん、学校に来たら木に引っかかってたの。つい持ってきちゃった。なんか本物みたいでちょっと怖いよね」
 腰までありそうな黒髪に白い長襦袢、雪のように透き通った白い肌はまさしくミゾレだった。腕を組み、仁王立ちで不敵な笑みを浮かべたまま凍りついていた。
「そ、それ……み、み、み」
「え? 知ってるの?」
「いや、見た事ある。こ、子供が遊んでたかな? ちょっと前に」
 嘘をついてしまった。しかしこの妖怪にミキちゃんを関わらせるわけにはいかない。
「多分後で取りに来るかもしれないから、俺が戻しておくよ」
「そう? じゃあお願いしようかな」
「ミキちゃんは先に校門の方に行ってていいよ。俺すぐ行くから」
 一瞬不思議そうな顔をしたミキちゃんだったが、またニッコリと笑うと素直に従ってくれた。俺はミキちゃんが十分離れるのを確かめながら木の後ろに隠れた。
「ありがとうミゾレ、俺頑張るよ。そして……」
 なんてカチンコチンに固まったミゾレに言ってみても反応は無かったが、胸の部分を握っていると気が付くと慌てて落としそうになった。俺はなるべくミゾレを傷付けない様に、後ろからそっと掴み直した。
「さよなら!」
 俺は朝日にきらめく校庭に向かって、力の限りミゾレを投げた。それを見越したかのように北風が吹いたが、昨日のようにミゾレが風に乗ってどこか遠くに行くことはなく、そのまま音もなく雪に突き刺さった。俺は何も見なかった事にした。

「ゴメンゴメン、お待たせ」
 健気にもミキちゃんは校門で俺のことを待っていてくれた。本当に良い子だ。やっぱり俺にはミキちゃんしかいない。そんなミキちゃんは顔を赤らめてモジモジとしている。ってどうしたんだ一体。なんかマズいことしてしまったか。
「さっき……ミキって呼んでくれたよね」
「え?」
 そうだっけ? 心の中や日記ではミキちゃんと呼んでいるけど、恥ずかしくてそんなこととても言えないはずだ。さっき……さっき!
「えへへ、ありがとう。あと……これ」
 ミキちゃんは鞄から小箱を取り出すと俺に差し出した。ストライプ柄の包装にリボン付き。甘い雰囲気漂うこれはどう見てもチョコレートだ。
「これ、俺に? あ、ありがとう!」
 今すぐミキちゃんを抱きしめたい衝動に駆られたが自制しつつ、冷静に今日という日を考えた。今日は二月十四日、世間一般に言うバレンタインデー。普段は チョコレート会社の陰謀だとか日本人のキリスト教観がどうだなどと嘲笑していたが、そんなことはどこか遠くにすっ飛んでいってしまった。
「渡せて良かった。それじゃ、帰ろっか」
「う、うん」
 普段はあんなに地味で消極的な彼女が、俺の制服の袖を引っ張りながらはにかむ。着飾らない、化粧っ気もない彼女だが、俺には最高に輝いて見えた。真冬の アイス、謎の雪女、バレンタインチョコレート、谷野美希。昨日の今日でなんだか信じられないけど、俺は他人には譲れない大事なものをみつけた。ミゾレ、全 く憎めない奴だ。雪の中から戸惑う俺を眺めて満足しているのだろうか。
 芸術的なまでに人の歩いていない通りは俺とミキちゃんのために用意されたような美しさで、俺たちはしばらく無言で雪を踏みしめた。
「あ、そうだ」
 俺は兼ねてからの計画をやっと口にすることができた。
「なかなか個性的なアイスクリームを出してくれる喫茶店を見つけたんだけど、良かったら行ってみない?」
「へぇ、どんな所? いいね、行きたい」
 我ながら実に単純かつ初歩的な計画。しかしアイスによって結ばれた俺とミキちゃんにはこれが一番適しているような気がした。まだまだ青い俺にはこれくらいが妥当なんだ。
 俺は冬が好きだ。ウサギさんの手袋が好きだし、寒さに頬を染めながらも俺の横で微笑みかけてくれる女の子が好きだ。ちょっと意地悪な雪女も好きだし、いつまでも溶けないアイスは美味しいし、冬は最高の季節だ。




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